ふわり、
深い淵から掬い上げられるように、少女は目を醒ました。
*****
先程まで、少女の意識は仄暗い闇の中をさまよっていた。
少女――クローム髑髏は、六道骸との交信が途絶え己の幻術でつくり出した内臓で延命を試みた日から、その意識のほとんどを闇に沈め続けている。それは幻術で再現した臓器が不完全な為、身体に掛かる負担を抑える目的で安静にしているという理由もあるが、何より、その闇の中に骸が残した手掛かり…何か見落としてしまったもの、それも出来れば骸の無事が判るような何かがありはしないかと探すためだった。
(むくろさま…骸さま、)
返る声がないと解っていても、呼ばずにはいられない。クロームは必死に叫ぶ。骸の存在を感じられないという事実にずっと、心が恐怖感に苛まれ続けている。
あのひとが誰かに負けてしまうなんて、いなくなるなんて、もう会えないなんて。そんなこと。そんなこと絶対にあるはずない。…そう信じているけれど、最後に感じた彼の気配があまりに微かすぎて。幾度となく最悪を想像しては、その度に慌ててふるふるとかぶりを振る。
(ご無事、ですよね…)
無意識に祈るように胸の前に掲げられた握り拳を、少女は更に強く握りしめる。そしてまた、僅かな可能性に賭けて廃墟の闇の中、歩を進める。
そんな彼女の耳に、微かに届く声があった。
――――… 、
はっと顔を上げる。
そして、その小さな響きに呼ばれるままに、クロームの意識は闇から浮上した。
*****
そっと瞼を持ち上げれば、ぼやける視界に映るのは白い天井だ。
(…ここ、)
彼女がいましがたまで居た精神世界ではない…朧気ながら、視界の隅には医療機器が映る。現実世界。
ふと、少女の記憶を掠めるものがある。白い部屋、ベッドに横たわる自分、耳に届く極小さな治療機器の電子音…そして身の内に感じる彼の人の力。(まるで、あの時のよう)(――あの人の手を取った、はじまりの目覚めの)
けれどもちろん今はあの時ではないし、ここは事故で運び込まれた病院でもない。…ここは、あれから十年の時を経た世界。そのボンゴレアジトの医務室。
でもいまは、そんなことはどうでもよかった。
覚醒直後の視界に映る世界は潤んで霞むけれど、そろそろと視線をさまよわせる。確かめたいのは、そんな事実ではなくて、
「クローム」
今度こそしっかりと耳に届いた声。
白い影を視界が捕らえる。
(――…ぁ、)
じわり、瞼の裏に更に水分が溢れるのを止められなくて、少女の意思に反して視界は余計に霞んでしまう。
「辛いおもいをさせましたね」
聴こえる声はずっと求めていたものだ。自分のよく知るそれより少し低い、でも同時にやはりよく知っている、あの人の声。
すみませんでした、苦しかったでしょう。その言葉と一緒に、僅かに呼吸がしやすくなる。説明されずとも彼の力がクロームの幻覚を補強したのだと解る。
(いいえ、)返したいのに、うまく声が出てくれない。
一人でここまでの幻覚をつくるとは流石僕のクロームです。褒めてくれる言葉にも、内心で首を横に振る。
(いいえ、いいえ、)
失われた内臓の痛みなんて、血を吐き呼吸も儘ならないそんな苦しみだって、――――そんなもの、あなたを喪う恐怖の前ではの比べ物にもならないのです。 自分の創る幻覚なんて、あなたのくれたものの代わりにもならないのです。
彼が常に力を注いでいてくれた、それをなぞるように創った幻覚。
生きたいと、灯した炎に込めた想いは、必ず彼は生きていると信じていたから。
頬を伝う熱い滴は止まらない。視界は未だ潤んでぼやけている。
だから、
捕らえられない視界で、でも、少女はその濡れた瞳に喜びを乗せて、「クローム、」再度自分を呼ぶその人に笑みを返す。
「――――はい、骸さま」
潤む視界にきみの声