ある時ボンゴレ]世によって宣言されたボンゴレリング破棄の知らせに、業界中が騒然となった。
何故ならば場合によっては――いやむしろ、リングの力が見直され保有するリングや匣の数が組織の戦力バロメーターになり始めている現在では、それは確実に裏社会の勢力図が塗り替わってしまう大事なのだ。
リング破棄決定までの間にボンゴレファミリー内でどのようなやりとりがあったかは内部者にしか知り得ないことであるが、リングの破壊を決行したその場には守護者のみが立ち会いを許され、その後砕かれたリングがどのように処分されたかも彼ら以外には一切不明のままにこの事件は終わりを迎えたらしい。
ともかく、誰もがボンゴレリングという強力な力を失ったボンゴレファミリーの弱体化を予想したし、この機にボンゴレの敵対勢力は彼らを頂点から転落させようと動き出した。
――――だが、それは間違いであったとすぐに知ることとなる。
灯火の道標
「死ぬ気の炎に関してボンゴレに優るとこなんてねーんだよ」
此方に視線を移すこともせず、ボンゴレの誇る二大剣豪の片割れは呟く。
「…って、前に小僧が言ってたんだけどさ。」
――――なんつーか、壮絶?
そこに込められたのは呆れなのか畏れなのか歓びなのか誇りなのか。すべてが当てはまるようにも、そのどれも間違っているようにも聞こえる声だ。
ただ、その口元は笑みをかたどり、その瞳は真っ直ぐにただ一点を見つめ続けている。
戦闘時以外には常にあっけらかんとした態度で周囲から天然と評されている雨の守護者・山本武。眼前に広がる光景は、その山本をしてそう言わしめる程度には常識はずれな光景のように思えた。
元の地形が判らない程抉られた大地。自然のものではない風に煽られて土埃が巻き上がる。地に立つ人影は既に一つとなく、倒れ伏せる幾多の敵と――中空に澄んだ光を放ち佇む、影ひとつ。
その影は、こんな戦場に在っては不釣り合いな程、細く小さい。しかし同時に、大空を背にするその姿こそ、他の何者よりもこの場に相応しいとも想う。
一対大多数、加えて匣使い相手に、その人はリングも匣も無しにその身ひとつで勝利してしまった。
その手にあるのはただ、数年来共に戦場を駆け抜けてきた馴染みの武器と覚悟の炎のみ。その上、敗者達の誰一人として命を奪っていない。(ただし愚かにもボンゴレに牙を剥いた者達であるから、もちろんそれ相応の代償は払ってもらった――もう彼らの誰一人として戦士として生きる道は選べないだろう。)
流石は我らがボンゴレ十代目。自分たちのボスの凄さなどとうの昔に知っていたつもりだったけれども、あらためて認識し直す。
ボンゴレ]世の闘う姿を目にした者のほとんどが、彼の大空の王の姿に畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
――――これで、ボンゴレに手を出そうなんて考える馬鹿も多少は鳴りを潜めるだろうなぁ。
そう言って笑うのは山本だ。
獄寺は周囲の部下達が発する勝利の歓声を聞き流しつつ、それに無言で頷いた。そして内心でだけ、
(ついでに、うちのウルセェ爺どもも、な)
苦々しげに呟く。
彼らは、普段は前線に出てこないボス自らが今回の戦場に姿を見せた理由を理解していた。此度のボンゴレリング破棄の件を好機と考えボンゴレファミリーを襲撃してきた相手をそれまでと同じだけの、あるいはそれまで以上の力をもって討ち取ることで王者ボンゴレの力を周囲に示してみせる。
そのためには圧倒的な勝利が必須であり、これはその為の盛大なパフォーマンス。
今回のことで、ボンゴレに敵対している者達の大半が肝を冷やしたに違いない。そして――水面下でボンゴレ]世を貶める発言をしていた者達も。
ボンゴレリングの破棄騒動がもたらしたのは単なる敵対勢力の活性化だけではなかった。
リング破棄を決めたボンゴレ]世に対して、馬鹿な男だ愚か者だと囁きあう者達が存在していた――それもボンゴレの内部に――。それは、ボンゴレリング破棄に猛反対の姿勢を示した古株の幹部であり、もともとジャッポーネの子どもがボンゴレを継ぐなどと口さがなく言っていた連中である。彼らは事ある毎に当代にいちゃもんを付け隙あらば、とその席を狙っている。
つまり、そういった内外の敵のどちらに対しても、大々的に“ボンゴレファミリー十代目の力”を見せつける必要があったのである。
これでしばらくはどこも大人しくなるだろう。
雨と嵐の守護者は彼らの主を見る。外見上は、多少の怪我こそあれども無事のようだ。しかし、彼らの心配は、目に見えない部分に対するものだから、一見しただけでは判断することが難しい。
獄寺は周囲のものに聞こえない程度の声音で傍らの剣士に呟いた。
「十代目…大丈夫だろうか…」
彼らの主は本来はあまりこういったことを好まない。こんな力を誇示するような――力づくで相手を屈伏させるようなやり方は。それが敵であろうとも他人を傷つけることを嫌う優しい人なのだから。
「ああ――無理してないと、いいけどな」
怖れの色を乗せた感情を向けられるのは辛いはずだ。彼の強さはその優しさから生まれているものであって、本当は優しいのと同じくらいとても繊細なのだから。
――――それでも彼は、こうして戦場に立った。
ボンゴレファミリーのボスとして。守るべきものをもつ戦士として。
今の彼は、とても強い。勿論ボンゴレの首領である、以前から戦闘力は高かった。しかしボンゴレリングを失って猶その強さは劣ろえることがなく、それどころか更に強さを増したと感じる。実際、彼はボンゴレリング以外のリングでも、美しい澄んだ炎を灯らせる。
死ぬ気の炎は、覚悟の炎だという。
ならば、彼は何れ程の覚悟をその身に抱いているのだろう?
あの日――ボンゴレリングの破棄を告げたその日から、十代目からはどこか言い知れない強さを感じる。獄寺は思う。それは、譲れない何かを持った者特有の強さだ、と。
そこに、彼の秘められた覚悟があるのだろうか。
彼が何を思い、何を決意し、何をしようとしているのか。それは獄寺にも山本にもわからない。あの日から彼が何かを心に決めてしまったのだと、それだけしかわからないが、覚悟を決めた者は彼だけではないのだ。
――――同じように、自分たちにも自分たちの覚悟がある。
自分自身の覚悟を、想いを――彼を信じる――それだけは、いままでもこれからも、どんなことがあってもずっと変わらない自分を知っているから。
だから自分たちは彼を信じて、彼の信頼に足る働きをしようと決めている。
たとえ何も知らずとも、彼の人の心が灯す炎の輝きが行く先を指し示す
道標になる。