「…へ?!(ここは…)」
隼人が来られたのは、こじんまりとした印象の普通の民家――オレンジ色の屋根に白い壁、塀に囲まれた庭の一角には季節の花が咲いている――ごくありふれた、でも家庭的な暖かさに満ちた優しい空間。
其所は隼人も良く知る場所。彼が唯一の主人と定めた十代目の――沢田綱吉の自宅だった。
確かに姉はいま沢田家に居候している身であるから、この場を借りることは可能だっただろう。気の好いここの家主ならば快く許可を出してくれるに違いないから。
(…う、嘘だろ、)
半分麻痺した脳に情報が届き事態を認識すると、彼は先程とは別の意味で顔色を失った。
ここが会場だとしたら、中は一体どうなってしまっているのだろう――過去の例からしてきっと、否、確実にポイズンクッキングの地獄絵図に違いない!
十代目のお宅になんてことをっ、と慌てて隼人は駆け出す。主人の安全が気掛かりだった。
会場になるならばリビングだろうと当たりをつけて、部屋に飛び込む。
「――十代目ぇっ!」
ご無事ですか!?と続くはずだった言葉は、突然起こった破裂音によって遮られた。
ぱんっ、ぱんっ、ぱんっ!
音と同時に、ひらひらと、カラフルな1cm程の正方形の紙切れが目の前を舞い墜ちていく。
『誕生日おめでとうっ!!』
複数人による重唱。室内には主人の少年やその母親の他に、見知った顔が揃って入り口に向かって――すなわちそこに佇む自分に――満面の笑み。
その手元には円錐状の小さな道具…所謂クラッカーが握られている。
「――――は?」
隼人は間抜けなことに口をぽかんと開けて目をしばたたかせた。
あぁそうかさっきの破裂音はクラッカーか、てか誕生日?もしやこの面子は自分の誕生日祝いのためにここにいるのだろうか?ちょっと照れくさ…いやいやそんなことより何故みんな平気な顔して居られるのだこんな狭い――あっいや別に十代目のお宅がどうこうというわけではなくて――ともかくポイズンクッキングの毒ガスの巡りが早いはずなのに……て、あれ?
呆然としたままそこまで一息に考えて、彼ははたと気が付いた。この場からはポイズンクッキングの悪臭もなにもしない、むしろ食欲をそそる芳しい香りが漂っている。
少し落ち着いた目線で見渡せば、奥のテーブルには“普通の”パーティーメニューが並んでいる。(…どういうことだ…?)疑問符で一杯の隼人の背を、長身の少年が押した。野球バカこと山本武。
「さぁさぁ、獄寺!ぼーとしてないで主役は席にすわってゆっくりなー!」
ぐいぐいと押されてそのまま主賓席らしき場所へと案内される。
そこには敬愛する主人がにこにこと笑みの花を咲かせて待っていた。
「じ、十代目…あの、これは一体?」
「あはは、おどろいた?獄寺くん」
急にごめんね。困ったように眉尻を下げてでもどこかしら楽しそうな表情で綱吉は苦笑する。
「ビアンキに獄寺くんの誕生日祝いの話を聞いたら、母さんがぜひ自分も手伝いたいって言い出してさ。」
「あら、だって。獄寺くんは中学に上がってからのツナの最初のお友達でしょう?今日がお誕生日だって聞いてぜひお祝いしたかったのよ〜!
いつもツっ君がお世話になってるし、息子のお友達のバースデーパーティーを開くなんてステキじゃない!憧れてたのよねぇ〜!!」
手作りらしいケーキを運んできた綱吉の母・奈々がウキウキと少女のような笑顔で会話に加わる。(このケーキもやはりポイズンではない。)
彼女は隼人の前まで来ると「本当に、いつも綱吉のことありがとう。獄寺くんみたいな良い子が綱吉と友達になってくれて嬉しいわ。」そう言って、それからまっすぐ隼人の顔を見つめて「お誕生日おめでとう!」とにっこり笑った。元々よく似た顔立ちのこの母子は笑うとますます似ていて、その笑顔に隼人は無性に照れくさくなった。“母親”という存在に不馴れなこともあってか物凄くむず痒い心地だ。その気持ちを誤魔化すように話題を変える。
「あの、でもよく姉貴が大人しくしてましたね?」
一見してもあの姉の手による料理が一つもないのは不思議だった。
彼女の性格ならば、絶対に自分で作りたがると思うのだが…
「あぁ、それは…」
「ママンに頼まれたら、さすがのビアンキだってしょーがねーんだぞ。」
答えたのはリボーンだった。主役のはずの隼人よりも先にテーブルに並ぶ料理をひょいひょいと次々頬張りながらの解答である。
「あっ!なにやってんだよっ」綱吉がすかさず注意するものの小さな家庭教師はどこ吹く風だ。
リボーンがいうには、せっかくだから隼人のために腕を奮いたいのだと瞳を輝かせる奈々の姿に、ビアンキも折れたのだという。それだけであの姉が折れたという事実に、やはり沢田家で頂点に位置するのは奈々なのだとあらためて再確認する。
「それでもケーキだけはビアンキが作るってはなしだったんだがなぁ〜」
ニヤリ。リボーンは意味ありげに口の端を吊り上げる。ちらりと綱吉に視線を投げた。
「部下のためにボスがカラダ張ったわけだ」
「えっ!…どーゆーことっすか?!」
「え、あー…いや、そんな大したことじゃないんだけどね?」
とたんに色めき立つ右腕をどうどうと抑えて、綱吉は苦笑とともに説明した。
*****
パーティーに出すメイン料理は奈々に譲ったビアンキだったが、やはり己の愛弟のため、バースデーケーキは自分で作ると主張した。奈々もそれには笑顔で了承したが、そこで慌てたのは綱吉だ。ビアンキのポイズンクッキングの威力は綱吉もよく知っている、…もちろん右腕の少年のポイズンクッキングに対するトラウマ振りも。
だから綱吉は、せっかくの友人の誕生日、今年は最後までポイズンクッキングなしで祝いたかった。なんとかビアンキを納得させてケーキ作りも諦めて貰えないかと頭を捻り…思いついたのが、彼女と自分との共同制作だった。
つまり、どういうことかというと…ビアンキの考えたレシピを彼女の指示のもと綱吉が作ったのである。
これならある意味ビアンキ作のケーキでもあり、尚且つビアンキが材料に触らないかぎりポイズンクッキングと化す心配もない。
実はこれ、ビアンキが綱吉の家庭科の家庭教師をしていた時の常套手段であった。
家庭教師をしてもらう度にポイズンクッキングでは堪らないと、早いうちから『ビアンキが指示して綱吉が実際に料理を作る』という指導方法をとることにしていたのだ。
結果として、この方法は大いに正解だった。作るものすべてを毒にしてしまう特技さえ抜かせば、ビアンキは料理の腕も知識もプロ級だ。家庭教師として申し分ない。(ちなみにこの場合、調理の際のコツなどはどうやって指導するのかという問題があったが、その点は料理上手の母親を持つ綱吉である。ビアンキの模範指導がなくても母の調理姿を見ていれば事足りた。)おかげで綱吉の家庭科の成績にはそれなりの成果が表れている。
また、とある事情によりケーキ屋でバイト経験のある綱吉はバイトの間に厨房のパティシエのケーキ作りを見る機会も多かった。加えて「せっかくケーキ屋でバイトしてるならケーキの一つや二つ作れるようにならなくちゃ勿体ないわ!」という奈々の突拍子もない主張により綱吉は菓子作りの特訓を受けたりもしていた。
そういった事情のおかげで、実は綱吉は菓子作りはある程度の腕前を持っているのだった。
そんなあれこれを知っているからかビアンキも綱吉との共同作業を了承し、新作ケーキは無事ポイズン無しで完成の運びとなったのである。
*****
だから、ケーキも一応安全だから安心してね、獄寺くん。
そう言って話を締めくくった綱吉の言葉を聞いて、隼人は顔を伏せ肩を震わせる。
「ええっ!?ちょ、獄寺くんどうしたの!」
「…つまり、このケーキは十代目の手作りなんすね…?」
俯いたまま訊ねる隼人に、綱吉は「あ〜、やっぱりオレなんかが作ったケーキじゃ嫌だった?!」と慌てる。しかし次の瞬間、彼はガバッと顔を上げ叫んだ。
「感動っす、十代目!!」
オレのために姉貴のポイズンクッキングを回避してくださっただけでなく、わざわざ十代目手ずから作っていただいたモノを口にできるなんて…!! オレは…オレは、幸せ者っす!
こんなに幸せな誕生日は初めてだと泣きながら笑うその様子に、綱吉は相変わらず大袈裟だなぁと苦笑する一方で頑張って良かったと微笑んだ。
その日は、沢田家にてみんなで遅くまでわいわいと騒いで楽しく過ごした。
本当に、本当に、こんな楽しい誕生日はほかにないと隼人は笑って。
それから、
「姉貴も…いつもサンキュ、」
パーティーの終わり際にボソリとビアンキに呟く少年の姿があったのだとか。
(幸福的)愛情過食症