――――なんでこんなことに。
綱吉は混乱していた。唯ひたすらに一つの言葉がぐるぐる脳内に渦巻いている。
全身冷や汗が流れ、まばたきの一つもせず石化してしまったかのように動かない。
気分はサバンナのど真ん中に放り込まれた時のような。いや、放り込まれ経験はないけど。しかし今まさに、綱吉の目の前には猛獣が――もとい、最凶の風紀委員長が鎮座している。
――――…なんで、こんな
状況になってんの〜〜〜っ!??
答えを返してくれる者のないことを知りながらも、叫ばずにばいられなかった。(勿論、心の中で)
*****
黄金週間と呼ばれる五月の大型連休。せっかくならば、日に日に物騒になっていく自分を取り巻く状況を一時でも忘れておもいっきり遊びたい。そんなことを綱吉は願っていた。
しかし現実はいつだって綱吉に意地悪だ。
羽を伸ばすどころか、寧ろイベント事に目敏い家庭教師によって綱吉はいつも以上の苦行を強いられてしまう。ここぞとばかりにだされる危険かつ理不尽な“修行”という名のリボーンの暇潰しの数々によって、綱吉の疲労は普段の三割増しだ。
へとへとの綱吉の背中に無意味に一撃入れて、そのまま倒れた綱吉の上に立ったリボーンが「明日は修行は無しだゾ」と言うのを聴いた時には、一瞬幻聴かと耳を疑った。だが、すぐさま飛び起きて喜んだ。
家庭教師らしく気遣ってくれたのか、単に暇潰しも気が済んだのか知らないが(綱吉は確実に後者だと思った。)まともな休日を過ごせるのならリボーンの心の内などなんだっていい。
やった!明日は絶対だらだら過ごすんだ!…と若者としてどうかという決意を胸に帰宅すると、思わぬ伏兵が待ち構えていた。
ここ数日の間、構っていなかったことに不満をもったのかランボが遊べと騒ぎだし、他の子ども達も、自分も!と言い出し綱吉は困ってしまう。
(ぅう〜っ せっかく休めると思ったのに、今度はチビ達の面倒見んの、オレ?!)
絶っ対、無理!!
正直既に綱吉の疲労はピークを何度も乗り越え踏み倒し限界を越えすぎる程に越えていた。元気の有り余っているお子様の相手をしてあげられるだけの気力が残っていない。
疲れきった綱吉の様子に気が付いてくれたよいこ達は、しぶしぶ折れてくれた。
また別の機会に遊ぶ約束をすることで納得してもらった綱吉は、風呂で汗と汚れを洗い流すと食事もそこそこにベッドに倒れ込むように眠りについた。
それが、五月四日。
翌日。それこそ泥のように眠っていた綱吉の意識が浮上したのは、太陽が空の一番高いところに昇りきる少し前だった。
それでもまだ寝足りないと思った綱吉だったけれど、空腹に負けて布団から出る。
とりあえず何か食べよう。それから再度寝てしまおう、と盛大な欠伸とともに丸一日惰眠を貪って過ごす予定を立てながら階段を降りていく。
「ねー母さん、何か食べるも…の…」
リビングに顔を出し、母に食事を催促しようとした綱吉の言葉は、しかし、視界の隅にあるものをとらえてしまったが故に不自然に途切れた。
(え、)
黒の詰襟制服には腕章、古風かつ立体的な髪型。とても十代には見えない老け…いやいや、大人びた風貌。チャームポイントは割れた顎と口の端にくわえた葉だろうか。
(ぇぇぇえええええぇ〜っ?!)
沢田家のリビングに、何故か並盛中学風紀副委員長・草壁哲矢が居た。
*****
――――そして、現在。
綱吉は、広い座敷にて正座をしている。
あの後、驚きに身を固めているうちに半ば拐われるように草壁に連れられた綱吉は、歴史の有りそうな立派な日本家屋の前までやってきた。
屋敷の凄さに綱吉が呆然としている間に一室につめこまれ、中で待ち受けていた女性達の手で着物に着替えさせられると、再び別室へ案内される。
そこは先程通された部屋以上に広い部屋だった。
何畳あるのかという広さに反して調度品は殆んどないが、壁や天井に施された細工や大きな襖に描かれた風景画は素人目にも立派なものであることは明らかだ。
此方でお待ちください、とたった一言を残されて放置されてしまった綱吉は、その高級感溢れる雰囲気に呑まれてしまう。
そんな中ふと涼しげな風と水の気配を感じる。と同時に、カコーン、高い音が空気を割るのを耳にして綱吉はハッと我に返り反射的に音のした方へ顔を向けた。
視線の先に映ったのは松の木の庭、そこで流れる水を受ける竹筒が水の重さに堪えかねて首を下げる、と竹が岩にぶつかり再び甲高い音を響かせた。
(…な、なんだ。)綱吉はその名称こそ知らないけれどよく見掛ける仕掛けに、胸を撫で下ろす。ただでさえ今一状況が把握出来ず心中は混乱と不安の嵐だというのにその上緊張でいつの間にか身を固くしていたようだ。
(はぁ〜っ、…なんか立派過ぎて肩凝りそ〜〜っ)
広すぎる空間に一人きりというのも落ち着かず、部屋の隅の方に寄るともぞもぞと居住まいを正した。
(そういやオレ、なんの用で呼ばれたんだろう?)
少し落ち着いた綱吉は冷静になって自分の今の状況を振り返ってみる。
(あの時はびっくりしててそれどころじゃなかったけど…)
説明も何もないまま連れてこられはしたが、草壁が動いているなら十中八九風紀委員関係――というか雲雀関係だろう。しかしあの時リビングは草壁とともにリボーンが居た気がする。
(………そうだ、たしか何か二人で話してて、オレに気がついたと思ったら、)
そのまま草壁に連行されたのだ。
そこまで思い返して、綱吉は考えることを放棄した。
つまるところ今回のことも結局はリボーンの仕業なのだとしたら、もう動じるだけ損というものである。
寧ろ慌てたり騒いだりすればヤツを喜ばせるだけだ、綱吉はそう自分に言い聞かせる。これまでもあの家庭教師の企みに逆らったところで結果が良くなったことなどない。どうせ今回も綱吉にとってろくなことでないのは確かだろうから、無難に流されてしまおう。うん、それがいい。
ひとりで自分の考えに納得してウンウンと頷いた。そして一つ思考に決着がつくと余裕がうまれたのか今度は空腹を感しはじめた。
(そーだよ、すっかり忘れてたけど、オレ飯に下降りたんだった)
よくよく考えてみれば今朝どころか修行のため昨日の昼から何も食べていないのだ。気付いてしまえばもう綱吉には止まらない空腹感をどうすることもできなかった。
きゅるるるるるるぅぅぅぅうっ
盛大に鳴った腹の虫が、広い空間によく響いた。
予想以上に大きく耳に届いた自分の腹の音に腹を押さえて赤面する。
(うぅぅぅ〜っ は、恥ずかしーーっ!だ、誰もいないし大丈夫だよね、?)
誰にも聴かれなかったのがせめても救いと思った綱吉の耳に、しかし飛び込んできた
外からの声。
「ワォ、すごい音」
綱吉の斜め後方――背を預けるようにして座っていた障子の数枚隣の障子がいつの間にか開いていた――から降ってきたその低い美声。聴かれていた羞恥に、そしてそれ以上に聞き覚えのある声に、そちらに顔を向けて確認するのがおそろしい。
油の切れたブリキ人形のように硬い動きで、恐る恐るとそれでもなんとか首を動かせば、其処に居たのは、
――――闇色の着物を優雅に着こなした、漆黒の麗人
艶めいた黒の髪と瞳を有するその人の和装は正に純日本人といった印象で、自分の色彩に少なくないコンプレックスを持っている綱吉の抱く憧れを現実にしたかのようだ。
「ねぇ」
呼び掛けられて、はっとなる。それほど長い時間ではないはずだがじっと見つめていたから不審に思われたのだろうか。雲雀は――はたして目の前の人物は雲雀恭弥で間違いないのだろうか?――学ラン姿が印象に強すぎて綱吉は着流し姿の彼が『彼』なのかと片隅で疑問に思う。
そんな綱吉の内心など知るよしもない相手は先を続ける。
「お腹空いてるのかい――――草食動物」
(………、うん、ヒバリさんだ)
人間を(それも本人を目の前にして)草食動物呼ばわりする人物を綱吉は他に知らない。
首を大きく縦に振って、そんな納得の仕方をしてしまう綱吉だった。
その後、何やら小さく呟いた雲雀がどうしてか綱吉に昼食を振る舞ってれると言い出した。
滅相もないと断ろうとする綱吉に「でもさっき頷いたじゃないか」と不思議そうに聞き返してくる言葉から、先程の綱吉の態度を問い掛けへの返事と勘違いしたのだとわかったのだが、まさかさっき頷いていたのはあなたの非人情っぷりにヒバリさんだと納得してたからです等とバカ正直に打ち明けられるはずがなく、何より空腹は事実だったので結局ご馳走になることになってしまった。
目の前に広がった滅多に御目にかかれないような豪華な品々、あまりに高額そうなその品揃えに根っからの庶民である綱吉は箸を付けることを躊躇う。
それから、列べられた膳のその更に奥に見える雲雀の存在にも。
――――何故だ。何故こんな状況になってるんだ?!
背中に冷や汗をだらだら流して綱吉は考える。
広い部屋の中央で雲雀とたった二人きり、向かい合って食事なんてなんの拷問かと問いたい。何がきっかけで雲雀の機嫌を損ねてしまわないかと気が気でなく、食欲も吹っ飛びそうだ。
「…食べないの?」
「えっ?!ぃぃいえっ、いただきます〜!わ〜ぁっおいしそーだなぁっ!」
尋ねられて綱吉は、声を不自然に裏返しつつ慌てて一番近くにあった一品を口に入れる。流石というべきかそのとたんに口の中に広がった美味しさは舌筆しがたい。
食欲も吹っ飛ぶなんてウソですごめんなさい。誰にともなく謝って、緊張を少し緩めて次々と口に運ぶ。
「本当に美味しかったです!ありがとうございました」
全てを食べ終えた頃にはすっかり雲雀への恐怖も緊張も遥か彼方へ忘れてニコニコと幸せそうな笑顔で感謝の意を述べる綱吉がいた。
「ヒバリさんていつもこんなに豪華なご飯たべてるんですか?」
スゴいや!と素直な感想を述べる綱吉に、けれども雲雀は「違うよ」と返す。
「今日は特別…毎年この日は家の者が勝手に用意するんだよ、祝い事だからって」
「へぇー。何かあるんですか?(こどもの日だから?…まさかなぁ)」
尋ね返した綱吉に、雲雀はほんのわずかな間きょとんとした顔をしてみせる。その子供っぽい表情の変化に(わぁ、ヒバリさんでもこんな顔するんだ…)年相応な雲雀を垣間見た気がして、雲雀もやはり中学生なんだと妙に納得した。
「…君、赤ん坊からきいてないの?」
「な、何をですか?!」
赤ん坊、と聞いて慌て身を乗り出す。その名は綱吉にとっては時に悪魔と同意語である。
「今日は僕の誕生日なんだよ。」
チッ、チッ、チッ、ピコーン!
ヒバリさんの誕生日=今日=五月五日=こどもの日
…つまり、
ヒバリさんの誕生日=こどもの日…自らが弾き出したその答えに綱吉は驚愕の声を上げる。
「えぇっ!!?(に、似合わないっ!)」
「なに?その反応。…気に入らないな」
ムッと目を眇て懐に手を移動させる雲雀。それを見て綱吉は、トンファーを取り出されては堪らないと即座に土下座して謝る。
「なななんの問題もありませんっ!急に叫んでスミマセンでしたっ!せっかくめでたい日なので武器は出さないでください咬み殺すのはやめ――「なに言ってるの。」
「それじゃ君がここにいる意味がないじゃないか」
「――――は?」
言われた意味が理解できずに間抜けな声が出た。
「あぁやっぱり。もしかして何も聞いてないんだ、君?」
「あのぉ?どういうことですか?」
「赤ん坊がね、誕生日を祝ってやるって言うから」
リボーンと闘いたい、と注文したのだという。
じゃあリボーンと殺し合いでも何でもやってればいいではないか!なんで自分が雲雀に咬み殺されることになるんだ?!!
綱吉のもっともな疑問は、続けられた雲雀の「でも断られた。」という言葉に打ち消されてしまう。
「代わりに君を強くして、今日一日貸してくれる約束をした」
朝に草壁を迎えに出したっていうのに、なかなか来ないから待ちくたびれたよ。
今度こそ愛用の武器を取り出して、雲雀はそれは愉しそうに笑う。
――――さぁ、殺し合いをはじめようか。
(ヒィィイーーーっサバンナ再臨?!!)
今更ながら食事前の心象風景を思い出す。なんとか回避策はないものかと思案しだした綱吉は、突き刺さる殺気に身を震わせながら無意識に懐を探っていた手を止めて、あっと気が付いた。
「ヒバリさんヒバリさんっ!戦うなんて無理ですよ、ほらっ!オレ武器を忘れてきちゃいましたっ」
降参のポーズで「リボーンもいませんし〜」と続けようとする綱吉の顔に、ぺいっと柔らかいものが投げつけられる。それは27と数字の入った毛糸の手袋。
「君の言う武器ってのはそれだろ、赤ん坊から預かったよ。」
あと、死ぬ気弾?だか死ぬ気丸?だっけ、それが無くても強い方の君になれるようになったとも聞いたんだけど。
逃げ道を次々に塞がれてしまい、言葉に詰まる。
そう、確かに今回の修行内容は自力で死ぬ気状態になれるようにするというものだった。リボーン曰く「オレが側に居なくて死ぬ気丸も手元にない状況下で敵に襲われたらどーすんだ」とのことだったが…まさかこの為か、この為の修行だったのか!?
鬼畜タレマユっ!くるりん巻モミアゲっ!
この場に居ない家庭教師を内心でありったけ罵る綱吉だったが今の状況が改善されるはずもなく。
「これで、前みたいに、赤ん坊が居ないからなんて断ったりしないよね?」
疑問形のはずなのに妙な圧力を感じた。(もしかしなくても、以前逃げたこと根に持ってる?!)状況のみならず精神的にも追い詰められつつある綱吉だった。
「いや、でもですね。確かに死ぬ気になれるようになったといえばなったんですが、」
「なに?約束を破るわけ?」
そう言われて綱吉は、ぐっ、と押し黙る。
その約束はオレがしたんじゃないしっ!!
そう叫びたかったけれど言えるわけがない。(だってヒバリさん怖ぇーよ!)
つい先程の一飯の恩もある。第一ここで逃げたところで逃げ切れるとは思えない、だって相手は並盛の恐怖・雲雀恭弥と最凶の家庭教師・リボーンのタッグだ。俯いてひとつ息を吐き出すと、綱吉は腹を括った。
「わかりました…死ぬ気でお相手させていただきますっ!
でも、その前にひとつだけ言わせてください、」
大きく深呼吸をしてから、ぐいっと顔を上げて正面から雲雀を見つめると、ありったけの勇気を振り絞って口を開いた。
「 お誕生日おめでとうございます!!ヒバリさん! 」
告げられたその祝福の言葉に、雲雀は綱吉の顔を見つめた後。
「…ありがとう」ふっと息を吐き出すだけの微笑とともに言う。
「うん、」
遺影にするならその笑顔だね
「――――って、オレ死ぬの確定??!」
やっぱり逃げ出したくなってきた。