「貴方にはわからないんですか?」
潜水艇の中に、ルビーの声が静かに響く。
音をたてて下りてゆくシャッター越しに、ルビーがホカゲに言う。
「のんきなヤツなのか、無邪気なヤツなのか、意地っ張りなヤツなのか、」
ガシャン
完全に閉じたシャッターの奥でルビーが呟く。
「…よく見たら、絶対わかりますよ。」
「かいえん1号」から脱出ポッドが勢い良く飛び出す。その中で、誰にともなくルビーは呟いていた。
「…少なくともボクはそう教え込まれた。」
脳裏に浮かぶのは一人の人物。
口を真一文字に結び、険しい表情を崩さない父の姿。
「父さんから…。」
小さな言の葉は、静かに海に溶けていった……。
いつまでもかわらないもの
不意に、そっと服の裾を引かれて視線を向ければ、いつの間にボールから出たのか、傍らでZUZUが心配そうにルビーを見つめていた。
ルビーの顔がふっとほころぶ。
「ありがとう、ZUZU」
大丈夫だよ、と微笑むと、
「とりあえず、ロープをほどいてくれるかな?」
軽い調子で言う。
ロープがほどけると、ルビーはさして広くもないポッド内を見渡す。
まだ開発中だったためか、ポッド内には何もない。外を見ることが出来る丸窓が一つと、その近くの壁に小さなパネルのようなものがあるだけだ。
ルビーがパネルを覗き込む。どうやら現在の水深等が表示されているようだった。
「海面に出るまで、少しかかりそうだな…」
ルビーはパネルを見たまま呟く。
潜水艇をオートで海に潜らせたのだが、気付かない内に随分と深くまで潜っていたようだ。(もしかしたらホカゲとのバトルでの、ZUZUの“じしん”にも一因はあるのかもしれないが。)
ともかく、ポッドが海面に出るまでは慌ててもしょうがない。また、先程のバトルは、少なからずルビー達に影響を与えていた。
ルビーは一息吐くと、ZUZUの様子を見はじめる。
ZUZUは水タイプであるにもかかわらず、マグマッグの強力な炎で火傷を負い、体力を消耗していた。
ルビーはバッグから救急箱を取り出し、ZUZUを手当てすると、
「さて、と。
ZUZU、このポッドが海面に出るまでは暫く体を休めよう。」
と言うと、その場に座り込み、壁に背を預け、目を閉じる。
どんな時でも、状況を冷静に見定めること。そして、己を過信せず、必要なとき、可能なときには休息を取ること。
それらの大切さも、かつて、父センリに教えられたことだった。ルビーは僅かに顔を顰める。
どんなに嫌だと避けてみても、バトルをしだせば戦略や戦い方に父の影がちらつくし、日々の行動でさえ、こうして無意識に父の教えを守っている自分がいる。
その度に、自分の中には父の教えが深く根付いているのだと気付かされる。
おまえには父は越えられないと、誰かに耳元で囁かれている様な、そんな気がして嫌だった。
―――それでも、
体に押し寄せる疲れによってか、だんだんと沈んでいく意識の中でルビーは思う。
―――それでもいつか……
* * * * *
よたよたと、危なげな足取りながらも一生懸命に歩く。
やっと一人で歩けるようになったばかりの彼にはきつい道のりを。
目指す先から聴こえて来る、ポケモンの啼き声と、それから、良く知っている聴き慣れた声――
それを耳にして、彼はその小さな足をもっと早く歩こうと懸命に動かす。
あともう少し。あそこまでいけば。
そうしたら見えるはず。
バトルをする、あの、頼もしい、大きな背中が。
いまいくからね。おとうさん――…
* * * * *
「ん?」
ZUZUに腕を引かれてルビーは目を開ける。
ZUZUは嬉しそうに天井を見上げ、海面が近づいてきたことを知らせている。
ルビーは一度大きく身を伸ばす。
何か、昔の夢を見ていた気がするけれど、よく思い出せない。
(―――?)
ルビーはちょっと首をかしげて考えていたが、ポッドが海上に出たところで思考を止める。
思い出せない夢の中、ただ、不思議と父の後ろ姿だけが残っていた……。
それは、予感だったのかもしれない…………。
*
*
*
*
119番道路、天気研究所。
「カイナでははでにばらまいたらしいな。
作ったものはちゃんとしまっておけ。」
そう言って、地面に倒れているルビーの手に、センリはポロックケースを握らせ立ち上がる。
ゆっくりとした足取りでルビーから離れながら、ぽつりと付け加える。
「それから、たまには、母さんに連絡入れろよ。」
そういって立ち去る父の言葉を無言のまま聴きながら、ルビーには、瞳を閉じていても、見えているかのように父の姿が浮かんでいた。
自身の頑固さをそのまま映したかのように逞しく、そして――――頼もしい、父のその後ろ姿が。
END.