そよそよと、風はやさしく木々を揺らし
ゆらゆらと、
水面に波を立てる。
さんさんと、煌めく太陽の光りは
きらきらと、波の間に映り出されている。
揺らめくひかり
穏やかなシンジ湖の情景を、ヒカリは湖の縁から数歩離れた地面に座って静かに見つめていた。
ヒカリは昔からこの場所で、こうして静かに風の音や光の色、緑の匂いを感じることが好きだ。暇さえあればここにやってきて湖を見つめたり寝そべって空を眺めたり、そんなことが日課になっている。
今日もまた日課は日課のまま変わらずこうしているわけだが、昨日までとは異なることが1つ。
いまのヒカリの隣には
自分のポケモンがいることだ。
若葉ポケモンのナエトル。いろいろあって、ナナカマド博士から数時間前に正式に譲り受けたこのポケモンにヒカリは『たると』というニックネームをつけた。
もともとはナナカマド博士のポケモンだった たると は、それまであまり外に出ることがなかったのだろう、初めてボールから出した時には周囲をもの珍しそうに見回していた。
そんな たると の様子を見たヒカリが好きにしてていいよ、と言ってからしばらく経つけれど彼女はヒカリの傍を離れない。
生真面目な性格らしく主人の傍を離れるのをよしとしないのか、はたまた単に怖いのか。…生真面目な反面 臆病なので、どちらかというと後者が理由な気がする。
ヒカリの予想は当たりだったようで、 たると は、近くの草むらの陰からこちらの様子を窺う野生ポケモンの気配に時折ちらちらと落ち着かない様子で草むらに視線を向けている。急に襲いかかってこないか心配しているのかもしれない。
けれど野生の生き物は基本的にこちらが彼らの領域を侵さない限り襲ってくることはない。(ただし、それは言い換えればその領域を侵したときには容赦無く襲ってくるということであるけれど。ポケモンを持たない子供に大人達が口をすっぱくして「草むらに入ってはダメ」というのはそんな理由からだ。)
だから、むやみやたらに彼らのテリトリーを荒らさなければ危険はないのだ。
(たると ならポケモン同士だし、敵意を見せないで近づけばここのポケモン達ともすぐに仲良くなれるんじゃないかなー。)
ヒカリはそう思うけれど本人(本ポケ?)にその気がないのなら無理に仲良くさせることもないだろう。
――――それに、これから一緒にこの広いシンオウ地方を旅するその間にきっといろんな友達が出来るだろうし。
ナナカマド博士との会話を思い出す。
『シンオウ地方すべてのポケモンと出会え』なんて、とても無茶な頼みごとをされた気がする。最初は断ったし、普段の自分なら最後まで頷かなかっただろうと思う。でも、何故だか凄く惹かれるものもあった。
それはきっと、初めて体験したポケモンバトル―――それを通じて感じた、ポケモンとの絆のような存在―――が少女に強烈で特別な印象を残していたからかもしれない。
トレーナーでなくたって、いままでポケモンを間近で見たことは何度もあるし、お母さんのポケモンに触らせてもらったことだってあるけれど。
あのとき感じたものはそのどれとも違っていて、知らない感覚にドキドキしてたまらなかった。
(いったい、これ以上のどんなものが待っているんだろう。)
そんな好奇心から、結局は首を縦に振ったヒカリだった。
自分の隣にちょこんと座る小さな相棒を見る。
“これから一緒に頑張ろうね。”
そんな気持ちを込めて たると の頭を撫でれば、返事を返すように擦り寄ってくる。その仕種が可愛くて、また、好意で応えてくれることが嬉しくて自然とヒカリの口元が綻びていた。
もう一度そっと一撫でして、たると から再び湖へと視線を移す。
水面に映る陽色がいつの間にか赤みを帯びている。そろそろ帰らないといけない。まあ、出掛けたきり帰りが遅くなるのはいつものことだからこれくらいで心配するようなお母さんじゃないけれど。
…そういえばナナカマド博士のところから真っ直ぐここに来てしまったから、お母さんにまだ旅に出ることを話していないのだった。
(帰ったらちゃんと事情を話さなくっちゃ)
明日の朝には住み慣れた町を離れて旅に出る。毎日のように見ていたこのシンジ湖の情景とも、しばらくお別れだ。そのことになんだか淋しい気持ちになる。
でも。
(……。)
唐突に、すっくと立ち上がり一度背筋を伸ばし姿勢を正すと、ヒカリは湖に向かって大きく叫ぶ。
「いってきまーす!!」
――――でも、淋しい気持ちと同じくらい、わくわくした気持ちもあるから。
たると と一緒にきっとたくさんの冒険をしてくるよ。
いつか、帰ってきたら話を聞いてね。
あたしの旅をここで応援しててね。
―――いってきます。
「よし! たると 行こう!」
揺らめき輝く湖を背に少女は朗らかに笑う。
少女の冒険が始まった。